第三の手记

第三の手记

上海龙凤shlf最新地址竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。惚《ほ》れられるという、名誉で无い予言のほうは、あたりましたが、きっと伟い絵画きになるという、祝福の予言は、はずれました。

自分は、わずかに、粗悪な雑志の、无名の下手な漫画家になる事が出来ただけでした。

鎌仓の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二阶の、三畳の部屋で寝起きして、故郷からは月々、极めて小额の金が、それも直接に自分宛ではなく、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかくして送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、あとは故郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、そうして、ヒラメはいつも不机嫌、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人间というものはこんなにも简単に、それこそ手のひらをかえすが如くに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽に思われるくらいの、ひどい変り様で、

「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ」

上海龙凤shlf最新地址そればかり自分に言っているのでした。

上海龙凤shlf最新地址ヒラメは、自分に自杀のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、女の後を追ってまた海へ飞び込んだりする危険があると见てとっているらしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も饮めないし、烟草も吸えないし、ただ、朝から晚まで二阶の三畳のこたつにもぐって、古雑志なんか読んで阿呆同然のくらしをしている自分には、自杀の気力さえ失われていました。

ヒラメの家は、大久保の医専の近くにあり、书画骨董商、青竜园、だなどと看板の文字だけは相当に気张っていても、一栋二戸の、その一戸で、店の间口も狭く、店内はホコリだらけで、いい加减なガラクタばかり并べ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売しているわけではなく、こっちの所谓旦那の秘蔵のものを、あっちの所谓旦那にその所有権をゆずる场合などに活跃して、お金をもうけているらしいのです)店に坐っている事は殆ど无く、たいてい朝から、むずかしそうな顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八の小僧ひとり、これが自分の见张り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、二阶の居候をまるで马鹿か気违いくらいに思っているらしく、大人《おとな》の説教くさい事まで自分に言い闻かせ、自分は、ひとと言い争いの出来ない质《たち》なので、疲れたような、また、感心したような顔をしてそれに耳を倾け、服従しているのでした。この小僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所谓亲子の名乗りをせず、また渋田がずっと独身なのも、何やらその辺に理由があっての事らしく、自分も以前、自分の家の者たちからそれに就いての噂《うわさ》を、ちょっと闻いたような気もするのですが、自分は、どうも他人の身の上には、あまり兴味を持てないほうなので、深い事は何も知りません。しかし、その小僧の眼つきにも、妙に鱼の眼を联想《れんそう》させるところがありましたから、或いは、本当にヒラメのかくし子、……でも、それならば、二人は実に淋しい亲子でした。夜おそく、二阶の自分には内绪で、二人でおそばなどを取寄せて无言で食べている事がありました。

ヒラメの家では食事はいつもその小僧がつくり、二阶のやっかい者の食事だけは别にお膳《ぜん》に载せて小僧が三度々々二阶に持ち运んで来てくれて、ヒラメと小僧は、阶段の下のじめじめした四畳半で何やら、カチャカチャ皿小鉢の触れ合う音をさせながら、いそがしげに食事しているのでした。

上海龙凤shlf最新地址三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、または何か他に策略でもあったのか、(その二つの推察が、ともに当っていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分などにはとても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)自分を阶下の珍らしくお铫子《ちょうし》など附いている食卓に招いて、ヒラメならぬマグロの刺身に、ごちそうの主人《あるじ》みずから感服し、赏讃《しょうさん》し、ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、

上海龙凤shlf最新地址「どうするつもりなんです、いったい、これから」

自分はそれに答えず、卓上の皿から畳鰯《たたみいわし》をつまみ上げ、その小鱼たちの银の眼玉を眺めていたら、酔いがほのぼの発して来て、游び廻っていた顷がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」が欲しくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。

上海龙凤shlf最新地址自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる张合いさえ无く、ただもうヒラメと小僧の蔑视の中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、自分と打ち解けた长噺をするのを避けている様子でしたし、自分もそのヒラメを追いかけて何かを诉える気などは起らず、ほとんど自分は、间抜けづらの居候になり切っていたのです。

「起诉犹予というのは、前科何犯とか、そんなものには、ならない模様です。だから、まあ、あなたの心挂け一つで、更生が出来るわけです。あなたが、もし、改心して、あなたのほうから、真面目に私に相谈を持ちかけてくれたら、私も考えてみます」

ヒラメの话方には、いや、世の中の全部の人の话方には、このようにややこしく、どこか朦胧《もうろう》として、逃腰とでもいったみたいな微妙な复雑さがあり、そのほとんど无益と思われるくらいの厳重な警戒と、无数といっていいくらいの小うるさい駈引とには、いつも自分は当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または无言の首肯で一さいおまかせという、谓わば败北の态度をとってしまうのでした。

この时もヒラメが、自分に向って、だいたい次のように简単に报告すれば、それですむ事だったのを自分は後年に到って知り、ヒラメの不必要な用心、いや、世の中の人たちの不可解な见栄、おていさいに、何とも阴郁な思いをしました。

ヒラメは、その时、ただこう言えばよかったのでした。

「官立でも私立でも、とにかく四月から、どこかの学校へはいりなさい。あなたの生活费は、学校へはいると、くにから、もっと充分に送って来る事になっているのです。」

ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていたのでした。そうして、自分もその言いつけに従ったでしょう。それなのに、ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。

「真面目に私に相谈を持ちかけてくれる気持が无ければ、仕様がないですが」

「どんな相谈?」

自分には、本当に何も见当がつかなかったのです。

「それは、あなたの胸にある事でしょう?」

「たとえば?」

「たとえばって、あなた自身、これからどうする気なんです」

「働いたほうが、いいんですか?」

上海龙凤shlf最新地址「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです」

上海龙凤shlf最新地址「だって、学校へはいるといったって、……」

「そりゃ、お金が要ります。しかし、问题は、お金でない。あなたの気持です」

お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう。その一言に依って、自分の気持も、きまった筈なのに、自分には、ただ五里雾中でした。

上海龙凤shlf最新地址「どうですか?何か、将来の希望、とでもいったものが、あるんですか?いったい、どうも、ひとをひとり世话しているというのは、どれだけむずかしいものだか、世话されているひとには、わかりますまい」

「すみません」

「そりゃ実に、心配なものです。私も、いったんあなたの世话を引受けた以上、あなたにも、生半可《なまはんか》な気持でいてもらいたくないのです。立派に更生の道をたどる、という覚悟のほどを见せてもらいたいのです。たとえば、あなたの将来の方针、それに就いてあなたのほうから私に、まじめに相谈を持ちかけて来たなら、私もその相谈には応ずるつもりでいます。それは、どうせこんな、贫乏なヒラメの援助なのですから、以前のようなぜいたくを望んだら、あてがはずれます。しかし、あなたの気持がしっかりしていて、将来の方针をはっきり打ち树《た》て、そうして私に相谈をしてくれたら、私は、たといわずかずつでも、あなたの更生のために、お手伝いしようとさえ思っているんです。わかりますか?私の気持が。いったい、あなたは、これから、どうするつもりでいるのです」

「ここの二阶に、置いてもらえなかったら、働いて、……」

上海龙凤shlf最新地址「本気で、そんな事を言っているのですか?いまのこの世の中に、たとい帝国大学校を出たって、……」

「いいえ、サラリイマンになるんでは无いんです」

「それじゃ、何です」

「画家です」

思い切って、それを言いました。

「へええ?」

上海龙凤shlf最新地址自分は、その时の、颈《くび》をちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも违い、世の中を海にたとえると、その海の千寻《ちひろ》の深さの个所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラと覗《のぞ》かせたような笑いでした。

そんな事では话にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晚まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二阶に上って、寝ても、别に何の考えも浮びませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。

夕方、间违いなく帰ります。左记の友人の许《もと》へ、将来の方针に就いて相谈に行って来るのですから、御心配无く。ほんとうに。

上海龙凤shlf最新地址と、用笺に铅笔で大きく书き、それから、浅草の堀木正雄の住所姓名を记して、こっそり、ヒラメの家を出ました。

ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけではありませんでした。まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかりしていない男で、将来の方针も何も自分にはまるで见当がつかず、この上、ヒラメの家のやっかいになっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、そのうちに、もし万一、自分にも発奋の気持が起り、志を立てたところで、その更生资金をあの贫乏なヒラメから月々援助せられるのかと思うと、とても心苦しくて、いたたまらない気持になったからでした。

しかし、自分は、所谓「将来の方针」を、堀木ごときに、相谈に行こうなどと本気に思って、ヒラメの家を出たのでは无かったのでした。それは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたくて、(その间に自分が、少しでも远くへ逃げのびていたいという探侦小説的な策略から、そんな置手纸を书いた、というよりは、いや、そんな気持も幽《かす》かにあったに违いないのですが、それよりも、やはり自分は、いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑させてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正确かも知れません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら饰りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで、それは世间の人が「嘘つき」と呼んで卑しめている性格に似ていながら、しかし、自分は自分に利益をもたらそうとしてその饰りつけを行った事はほとんど无く、ただ雰囲気《ふんいき》の兴覚めた一変が、窒息するくらいにおそろしくて、後で自分に不利益になるという事がわかっていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、马鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の饰りつけをしてしまうという场合が多かったような気もするのですが、しかし、この习性もまた、世间の所谓「正直者」たちから、大いに乗ぜられるところとなりました)その时、ふっと、记忆の底から浮んで来たままに堀木の住所と姓名を、用笺の端にしたためたまでの事だったのです。

上海龙凤shlf最新地址自分はヒラメの家を出て、新宿まで步き、懐中の本を売り、そうして、やっぱり途方にくれてしまいました。自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感した事が无く、堀木のような游び友达は别として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして悬命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などで见挂けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不快な戦栗に袭われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を爱する能力に於《お》いては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人间にだって、果して、「爱」の能力があるのかどうか、たいへん疑问に思っています)そのような自分に、所谓「亲友」など出来る筈は无く、そのうえ自分には、「访问《ヴィジット》」の能力さえ无かったのです。他人の家の门は、自分にとって、あの神曲の地狱の门以上に薄気味わるく、その门の奥には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、夸张でなしに、実感せられていたのです。

上海龙凤shlf最新地址谁とも、附き合いが无い。どこへも、访ねて行けない。

堀木。

それこそ、冗谈から驹が出た形でした。あの置手纸に、书いたとおりに、自分は浅草の堀木をたずねて行く事にしたのです。自分はこれまで、自分のほうから堀木の家をたずねて行った事は、いちども无く、たいてい电报で堀木を自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまはその电报料さえ心细く、それに落ちぶれた身のひがみから、电报を打っただけでは、堀木は、来てくれぬかも知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の「访问」を决意し、溜息《ためいき》をついて市电に乗り、自分にとって、この世の中でたった一つの頼みの纲は、あの堀木なのか、と思い知ったら、何か脊筋《せすじ》の寒くなるような凄《すさま》じい気配に袭われました。

堀木は、在宅でした。汚い露路の奥の、二阶家で、堀木は二阶のたった一部屋の六畳を使い、下では、堀木の老父母と、それから若い职人と三人、下駄の鼻绪を缝ったり叩いたりして制造しているのでした。

上海龙凤shlf最新地址堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を自分に见せてくれました。それは、俗にいうチャッカリ性でした。田舎者の自分が、愕然《がくぜん》と眼をみはったくらいの、冷たく、ずるいエゴイズムでした。自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では无かったのです。

「お前には、全く呆《あき》れた。亲爷さんから、お许しが出たかね。まだかい」

逃げて来た、とは、言えませんでした。

自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に気附かれるに违いないのに、ごまかしました。

上海龙凤shlf最新地址「それは、どうにかなるさ」

「おい、笑いごとじゃ无いぜ。忠告するけど、马鹿もこのへんでやめるんだな。おれは、きょうは、用事があるんだがね。この顷、ばかにいそがしいんだ」

「用事って、どんな?」

「おい、おい、座蒲団の糸を切らないでくれよ」

自分は话をしながら、自分の敷いている座蒲団の缀糸《とじいと》というのか、くくり纽《ひも》というのか、あの総《ふさ》のような四隅の糸の一つを无意识に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、耻じる色も无く、それこそ、眼に角《かど》を立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。

堀木の老母が、おしるこを二つお盆に载せて持って来ました。

上海龙凤shlf最新地址「あ、これは」

と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向って恐缩し、言叶づかいも不自然なくらい丁宁に、

「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。こんな心配は、要らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」

と、まんざら芝居でも无いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べるのです。自分もそれを啜《すす》りましたが、お汤のにおいがして、そうして、お饼をたべたら、それはお饼でなく、自分にはわからないものでした。决して、その贫しさを軽蔑したのではありません。(自分は、その时それを、不味《まず》いとは思いませんでしたし、また、老母の心づくしも身にしみました。自分には、贫しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、无いつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶ堀木に依って、自分は、都会人のつましい本性、また、内と外をちゃんと区别していとなんでいる东京の人の家庭の実体を见せつけられ、内も外も変りなく、ただのべつ幕无しに人间の生活から逃げ廻ってばかりいる薄马鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ见舍てられたような気配に、狼狈《ろうばい》し、おしるこのはげた涂箸《ぬりばし》をあつかいながら、たまらなく侘《わ》びしい思いをしたという事を、记して置きたいだけなのです。

「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね」

上海龙凤shlf最新地址堀木は立って、上衣を着ながらそう言い、

「失敬するぜ、わるいけど」

上海龙凤shlf最新地址その时、堀木に女の访问者があり、自分の身の上も急転しました。

上海龙凤shlf最新地址堀木は、にわかに活気づいて、

「や、すみません。いまね、あなたのほうへお伺いしようと思っていたのですがね、このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ」

上海龙凤shlf最新地址よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはずして里がえしにして差し出したのを引ったくって、また里がえしにして、その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団の他には、客座蒲団がたった一枚しか无かったのです。

女のひとは痩《や》せて、脊の高いひとでした。その座蒲団は傍にのけて、入口ちかくの片隅に坐りました。

自分は、ぼんやり二人の会话を闻いていました。女は雑志社のひとのようで、堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、それを受取りに来たみたいな具合いでした。

「いそぎますので」

上海龙凤shlf最新地址「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ」

电报が来ました。

上海龙凤shlf最新地址堀木が、それを読み、上机嫌のその顔がみるみる険悪になり、

「ちぇっ!お前、こりゃ、どうしたんだい」

ヒラメからの电报でした。

上海龙凤shlf最新地址「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいんだろうが、おれにはいま、そんなひまは、无えや。家出していながら、その、のんきそうな面《つら》ったら」

「お宅は、どちらなのですか?」

「大久保です」

上海龙凤shlf最新地址ふいと答えてしまいました。

「そんなら、社の近くですから」

上海龙凤shlf最新地址女は、甲州の生れで二十八歳でした。五つになる女児と、高円寺のアパートに住んでいました。夫と死别して、三年になると言っていました。

上海龙凤shlf最新地址「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がきくわ。可哀そうに」

はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、その女记者の名前でした)が新宿の雑志社に勤めに出たあとは、自分とそれからシゲ子という五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事になりました。それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの管理人の部屋で游んでいたようでしたが、「気のきく」おじさんが游び相手として现われたので、大いに御机嫌がいい様子でした。

上海龙凤shlf最新地址一周间ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。アパートの窓のすぐ近くの电线に、奴凧《やっこだこ》が一つひっからまっていて、春のほこり风に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく电线にからみついて离れず、何やら首肯《うなず》いたりなんかしているので、自分はそれを见る度毎に苦笑し、赤面し、梦にさえ见て、うなされました。

上海龙凤shlf最新地址「お金が、ほしいな」

「……いくら位?」

上海龙凤shlf最新地址「たくさん。……金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ」

上海龙凤shlf最新地址「ばからしい。そんな、古くさい、……」

「そう?しかし、君には、わからないんだ。このままでは、仆は、逃げる事になるかも知れない」

上海龙凤shlf最新地址「いったい、どっちが贫乏なのよ。そうして、どっちが逃げるのよ。へんねえ」

「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、烟草を买いたい。絵だって仆は、堀木なんかより、ずっと上手なつもりなんだ」

このような时、自分の脳里におのずから浮びあがって来るものは、あの中学时代に画いた竹一の所谓「お化け」の、数枚の自画像でした。失われた杰作。それは、たびたびの引越しの间に、失われてしまっていたのですが、あれだけは、たしかに优れている絵だったような気がするのです。その後、さまざま画いてみても、その思い出の中の逸品には、远く远く及ばず、自分はいつも、胸がからっぽになるような、だるい丧失感になやまされ続けて来たのでした。

上海龙凤shlf最新地址饮み残した一杯のアブサン。

上海龙凤shlf最新地址自分は、その永远に偿い难いような丧失感を、こっそりそう形容していました。絵の话が出ると、自分の眼前に、その饮み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに见せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、という焦燥《しょうそう》にもだえるのでした。

「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をして冗谈を言うから可爱い」

冗谈ではないのだ、本当なんだ、ああ、あの絵を见せてやりたい、と空転の烦闷《はんもん》をして、ふいと気をかえ、あきらめて、

上海龙凤shlf最新地址「漫画さ。すくなくとも、漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ」

その、ごまかしの道化の言叶のほうが、かえってまじめに信ぜられました。

上海龙凤shlf最新地址「そうね。私も、実は感心していたの。シゲ子にいつもかいてやっている漫画、つい私まで喷き出してしまう。やってみたら、どう?私の社の编辑长《へんしゅうちょう》に、たのんでみてあげてもいいわ」

その社では、子供相手のあまり名前を知られていない月刊の雑志を発行していたのでした。

上海龙凤shlf最新地址……あなたを见ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽家なんだもの。……时たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。

シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、おだてられても、それが即《すなわ》ち男めかけのけがらわしい特质なのだ、と思えば、それこそいよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女よりは金、とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、工夫しているものの、かえってだんだんシヅ子にたよらなければならぬ破目になって、家出の後仕末やら何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世话を受け、いっそう自分は、シヅ子に対し、所谓「おどおど」しなければならぬ结果になったのでした。

上海龙凤shlf最新地址シヅ子の取计らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会谈が成立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴れて」同栖《どうせい》という事になり、これまた、シヅ子の奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お酒も、烟草も买いましたが、自分の心细さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりなのでした。それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑志の毎月の连载漫画「キンタさんとオタさんの冒険」を画いていると、ふいと故郷の家が思い出され、あまりの侘びしさに、ペンが动かなくなり、うつむいて涙をこぼした事もありました。

そういう时の自分にとって、幽かな救いは、シゲ子でした。シゲ子は、その顷になって自分の事を、何もこだわらずに「お父ちゃん」と呼んでいました。

上海龙凤shlf最新地址「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でも下さるって、ほんとう?」

上海龙凤shlf最新地址自分こそ、そのお祈りをしたいと思いました。

ああ、われに冷き意志を与え给え。われに、「人间」の本质を知らしめ给え。人が人を押しのけても、罪ならずや。われに、怒りのマスクを与え给え。

上海龙凤shlf最新地址「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃんには、駄目かも知れない」

自分は神にさえ、おびえていました。神の爱は信ぜられず、神の罚だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞《むち》を受けるために、うなだれて审判の台に向う事のような気がしているのでした。地狱は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。

「どうして、ダメなの?」

「亲の言いつけに、そむいたから」

上海龙凤shlf最新地址「そう?お父ちゃんはとてもいいひとだって、みんな言うけどな」

上海龙凤shlf最新地址それは、だましているからだ、このアパートの人たち皆に、自分が好意を示されているのは、自分も知っている、しかし、自分は、どれほど皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から离れて行かねばならぬ、この不幸な病癖を、シゲ子に説明して闻かせるのは、至难の事でした。

「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」

自分は、何気无さそうに话头を転じました。

上海龙凤shlf最新地址「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」

上海龙凤shlf最新地址ぎょっとして、くらくら目まいしました。敌。自分がシゲ子の敌なのか、シゲ子が自分の敌なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかにそのように见えて来ました。

シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意に虻《あぶ》を叩き杀す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。

「色魔《しきま》!いるかい?」

上海龙凤shlf最新地址堀木が、また自分のところへたずねて来るようになっていたのです。あの家出の日に、あれほど自分を淋しくさせた男なのに、それでも自分は拒否できず、幽かに笑って迎えるのでした。

上海龙凤shlf最新地址「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュアには、こわいもの知らずの粪度胸《くそどきょう》があるからかなわねえ。しかし、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから」

お师匠みたいな态度をさえ示すのです。自分のあの「お化け」の絵を、こいつに见せたら、どんな顔をするだろう、とれいの空転の身闷《みもだ》えをしながら、

上海龙凤shlf最新地址「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鸣が出る」

上海龙凤shlf最新地址堀木は、いよいよ得意そうに、

「世渡りの才能だけでは、いつかは、ボロが出るからな」

上海龙凤shlf最新地址世渡りの才能。……自分には、ほんとうに苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能!しかし、自分のように人间をおそれ、避け、ごまかしているのは、れいの俗谚《ぞくげん》の「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧《れいり》狡猾《こうかつ》の処生训を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人间は、お互い何も相手をわからない、まるっきり间违って见ていながら、无二の亲友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて吊词なんかを読んでいるのではないでしょうか。

堀木は、何せ、(それはシヅ子に押してたのまれてしぶしぶ引受けたに违いないのですが)自分の家出の後仕末に立ち合ったひとなので、まるでもう、自分の更生の大恩人か、月下氷人のように振舞い、もっともらしい顔をして自分にお説教めいた事を言ったり、また、深夜、酔っぱらって访问して泊ったり、また、五円(きまって五円でした)借りて行ったりするのでした。

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世间が、ゆるさないからな」

上海龙凤shlf最新地址世间とは、いったい、何の事でしょう。人间の复数でしょうか。どこに、その世间というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、强く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、

上海龙凤shlf最新地址「世间というのは、君じゃないか」

という言叶が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。

(それは世间が、ゆるさない)

(世间じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世间からひどいめに逢うぞ)

(世间じゃない。あなたでしょう?)

(いまに世间から葬られる)

上海龙凤shlf最新地址(世间じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

汝《なんじ》は、汝个人のおそろしさ、怪奇、悪辣《あくらつ》、古狸《ふるだぬき》性、妖婆《ようば》性を知れ!などと、さまざまの言叶が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、

「冷汗《ひやあせ》、冷汗」

上海龙凤shlf最新地址と言って笑っただけでした。

けれども、その时以来、自分は、(世间とは个人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。

そうして、世间というものは、个人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で动く事が出来るようになりました。シヅ子の言叶を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言叶を借りて言えば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言叶を借りて言えば、あまりシゲ子を可爱がらなくなりました。

上海龙凤shlf最新地址无口で、笑わず、毎日々々、シゲ子のおもりをしながら、「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の「ノンキ和尚《おしょう》」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけのわからぬヤケクソの题の连载漫画やらを、各社の御注文(ぽつりぽつり、シヅ子の社の他からも注文が来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅ子の社よりも、もっと下品な谓わば三流出版社からの注文ばかりでした)に応じ、実に実に阴郁な気持で、のろのろと、(自分の画の运笔は、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしいばかりに画いて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド.バアで安くて强い酒を饮み、少し阳気になってアパートへ帰り、

上海龙凤shlf最新地址「见れば见るほど、へんな顔をしているねえ、お前は。ノンキ和尚の顔は、実は、お前の寝顔からヒントを得たのだ」

上海龙凤shlf最新地址「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老けになりましてよ。四十男みたい」

上海龙凤shlf最新地址「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何をくよくよ川端やなあぎいサ」

「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」

落ちついていて、まるで相手にしません。

「酒なら饮むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」

呗いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の额を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。

[#ここから2字下げ]

上海龙凤shlf最新地址してその翌日《あくるひ》も同じ事を缲返して、

上海龙凤shlf最新地址昨日《きのう》に异《かわ》らぬ惯例《しきたり》に従えばよい。

上海龙凤shlf最新地址即ち荒っぽい大きな歓楽《よろこび》を避《よ》けてさえいれば、

上海龙凤shlf最新地址自然また大きな悲哀《かなしみ》もやって来《こ》ないのだ。

ゆくてを塞《ふさ》ぐ邪魔な石を

上海龙凤shlf最新地址蟾蜍《ひきがえる》は廻って通る。

[#ここで字下げ终わり]

上海龙凤shlf最新地址上田敏訳のギイ.シャルル.クロオとかいうひとの、こんな诗句を见つけた时、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。

蟾蜍。

上海龙凤shlf最新地址(それが、自分だ。世间がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な动物なのだ。蟾蜍。のそのそ动いているだけだ)

自分の饮酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、银座のほうにまで出かけて饮み、外泊する事さえあり、ただもう「惯例《しきたり》」に従わぬよう、バアで无頼汉の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの顷よりさらに荒《すさ》んで野卑な酒饮みになり、金に穷して、シヅ子の衣类を持ち出すほどになりました。

ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、叶桜の顷、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢《じゅばん》やらをこっそり持ち出して质屋に行き、お金を作って银座で饮み、二晚つづけて外泊して、三日目の晚、さすがに具合い悪い思いで、无意识に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会话が闻えます。

上海龙凤shlf最新地址「なぜ、お酒を饮むの?」

「お父ちゃんはね、お酒を好きで饮んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」

「いいひとは、お酒を饮むの?」

上海龙凤shlf最新地址「そうでもないけど、……」

「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」

上海龙凤shlf最新地址「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飞び出した」

「セッカチピンチャンみたいね」

「そうねえ」

シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が闻えました。

自分が、ドアを细くあけて中をのぞいて见ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、亲子はそれを追っていました。

(幸福なんだ、この人たちは。自分という马鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を灭茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい亲子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも闻いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)

上海龙凤shlf最新地址自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを闭め、自分は、また银座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。

上海龙凤shlf最新地址そうして、京桥のすぐ近くのスタンド.バアの二阶に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。

世间。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。个人と个人の争いで、しかも、その场の争いで、しかも、その场で胜てばいいのだ、人间は决して人间に服従しない[#「人间は决して人间に服従しない」に傍点]、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人间にはその场の一本胜负にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大义名分らしいものを称《とな》えていながら、努力の目标は必ず个人、个人を乗り越えてまた个人、世间の难解は、个人の难解、大洋《オーシャン》は世间でなくて、个人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと际限の无い心遣いする事なく、谓わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。

高円寺のアパートを舍て、京桥のスタンド.バアのマダムに、

「わかれて来た」

それだけ言って、それで充分、つまり一本胜负はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二阶に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世间」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世间」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。

自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、亲戚の者のようでもあり、はたから见て甚《はなは》だ得态《えたい》の知れない存在だった筈なのに、「世间」は少しもあやしまず、そうしてその店の常连たちも、自分を、叶ちゃん、叶ちゃんと呼んで、ひどく优しく扱い、そうしてお酒を饮ませてくれるのでした。

自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは无い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の风には百日咳《ひゃくにちぜき》の霉菌《ばいきん》が何十万、銭汤には、目のつぶれる霉菌が何十万、床屋には秃头《とくとう》病の霉菌が何十万、省线の吊皮《つりかわ》には疥癣《かいせん》の虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで步くと足の里からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう谓わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの霉菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正确な事でしょう。と同时に、その存在を完全に黙杀さえすれば、それは自分とみじんのつながりも无くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に过ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに舍てた事になる、とか、或いは、一日に鼻纸一枚の节约を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的统计」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空费するような错覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「统计の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、挂算割算の応用问题としても、まことに原始的で低能なテーマで、电気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省线电车の出入口と、プラットホームの縁《へり》とのあの隙间に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを计算するのと同じ程度にばからしく、それは如何《いか》にも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも闻かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く现実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。

上海龙凤shlf最新地址そうは言っても、やはり人间というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと饮んでからでなければいけませんでした。こわいもの见たさ。自分は、毎晚、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小动物などを、かえって强くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸术论を吹きかけるようにさえなりました。

漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽《よろこび》も、また、大きな悲哀《かなしみ》もない无名の漫画家。いかに大きな悲哀《かなしみ》があとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽《よろこび》が欲しいと内心あせってはいても、自分の现在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を饮む事だけでした。

京桥へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑志だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥《ひわい》な雑志などにも载るようになり、自分は、上司几太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの诗句を插入《そうにゅう》しました。

上海龙凤shlf最新地址[#ここから2字下げ]

无駄な御祈りなんか止《よ》せったら

涙を诱うものなんかかなぐりすてろ

まア一杯いこう好いことばかり思出して

よけいな心づかいなんか忘れっちまいな

不安や恐怖もて人を胁やかす奴辈《やから》は

自《みずから》の作りし大それた罪に怯《おび》え

上海龙凤shlf最新地址死にしものの复讐《ふくしゅう》に备えんと

自《みずから》の头にたえず计いを为《な》す

上海龙凤shlf最新地址よべ酒充ちて我ハートは喜びに充ち

けささめて只《ただ》に荒凉

いぶかし一夜《ひとよ》さの中

上海龙凤shlf最新地址様変りたる此《この》気分よ

祟《たた》りなんて思うこと止《や》めてくれ

远くから响く太鼓のように

何がなしそいつは不安だ

屁《へ》ひったこと迄《まで》一々罪に勘定されたら助からんわい

上海龙凤shlf最新地址正义は人生の指针たりとや?

さらば血に涂られたる戦场に

上海龙凤shlf最新地址暗杀者の切尖《きっさき》に

何の正义か宿れるや?

上海龙凤shlf最新地址いずこに指导原理ありや?

上海龙凤shlf最新地址いかなる叡智《えいち》の光ありや?

美《うる》わしくも怖《おそろ》しきは浮世なれ

かよわき人の子は背负切れぬ荷をば负わされ

上海龙凤shlf最新地址どうにもできない情慾の种子を植えつけられた许《ばか》りに

善だ悪だ罪だ罚だと呪《のろ》わるるばかり

どうにもできない只まごつくばかり

抑え摧《くだ》く力も意志も授けられぬ许りに

どこをどう彷徨《うろつき》まわってたんだい

ナニ批判検讨再认识?

上海龙凤shlf最新地址ヘッ空《むな》しき梦をありもしない幻を

上海龙凤shlf最新地址エヘッ酒を忘れたんでみんな虚仮《こけ》の思案さ

上海龙凤shlf最新地址どうだ此|涯《はて》もない大空を御覧よ

上海龙凤shlf最新地址此中にポッチリ浮んだ点じゃい

此地球が何んで自転するのか分るもんか

自転公転反転も胜手ですわい

至る処《ところ》に至高の力を感じ

あらゆる国にあらゆる民族に

上海龙凤shlf最新地址同一の人间性を発见する

我は异端者なりとかや

みんな圣経をよみ违えてんのよ

でなきゃ常识も智慧《ちえ》もないのよ

生身《いきみ》の喜びを禁じたり酒を止めたり

上海龙凤shlf最新地址いいわムスタッファわたしそんなの大嫌い

[#ここで字下げ终わり]

けれども、その顷、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。

上海龙凤shlf最新地址「いけないわ、毎日、お昼から、酔っていらっしゃる」

バアの向いの、小さい烟草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、烟草を买いに行くたびに、笑って忠告するのでした。

「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺《びくん》をもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」

「わからない」

「この野郎。キスしてやるぞ」

「してよ」

上海龙凤shlf最新地址ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。

「马鹿野郎。贞操観念、……」

上海龙凤shlf最新地址しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに谁にも汚されていない処女のにおいがしていました。

としが明けて厳寒の夜、自分は酔って烟草を买いに出て、その烟草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の伤の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その时ヨシちゃんは、しみじみ、

「饮みすぎますわよ」

上海龙凤shlf最新地址と笑わずに言いました。

自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の伤の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加减によそうかしら、と思ったのです。

「やめる。あしたから、一滴も饮まない」

「ほんとう?」

「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、仆のお嫁になってくれるかい?」

上海龙凤shlf最新地址しかし、お嫁の件は冗谈でした。

「モチよ」

モチとは、「勿论」の略语でした。モボだの、モガだの、その顷いろんな略语がはやっていました。

「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる」

そうして翌《あく》る日、自分は、やはり昼から饮みました。

夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、

上海龙凤shlf最新地址「ヨシちゃん、ごめんね。饮んじゃった」

上海龙凤shlf最新地址「あら、いやだ。酔った振りなんかして」

上海龙凤shlf最新地址ハッとしました。酔いもさめた気持でした。

上海龙凤shlf最新地址「いや、本当なんだ。本当に饮んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」

「からかわないでよ。ひとがわるい」

上海龙凤shlf最新地址てんで疑おうとしないのです。

上海龙凤shlf最新地址「见ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から饮んだのだ。ゆるしてね」

上海龙凤shlf最新地址「お芝居が、うまいのねえ」

「芝居じゃあないよ、马鹿野郎。キスしてやるぞ」

「してよ」

「いや、仆には资格が无い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を见なさい、赤いだろう?饮んだのだよ」

「それあ、夕阳が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう约束したんですもの。饮む筈が无いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。饮んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」

薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、结婚しよう、どんな大きな悲哀《かなしみ》がそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽《よろこび》を、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは马鹿な诗人の甘い感伤の幻に过ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、结婚して春になったら二人で自転车で青叶の滝を见に行こう、と、その场で决意し、所谓「一本胜负」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。

そうして自分たちは、やがて结婚して、それに依って得た歓楽《よろこび》は、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀《かなしみ》は、凄惨《せいさん》と言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。决して、そんな一本胜负などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも无かったのでした。

堀木と自分。

互いに軽蔑《けいべつ》しながら附き合い、そうして互いに自《みずか》らをくだらなくして行く、それがこの世の所谓「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との间柄も、まさしく「交友」に违いありませんでした。

上海龙凤shlf最新地址自分があの京桥のスタンド.バアのマダムの义侠心《ぎきょうしん》にすがり、(女のひとの义侠心なんて、言叶の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の[#「都会の」に傍点]男女の场合、男よりも女のほうが、その、义侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり饰り、そうして、ケチでした)あの烟草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして筑地《つきじ》、隅田川の近く、木造の二阶建ての小さいアパートの阶下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った职业になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を见に出かけ、帰りには、吃茶店などにはいり、また、花の鉢を买ったりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言叶を闻き、动作を见ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人间らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に现われました。

「よう!色魔。おや?これでも、いくらか分别くさい顔になりやがった。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」

と言いかけて、急に声をひそめ、お胜手でお茶の仕度をしているヨシ子のほうを颚《あご》でしゃくって、大丈夫かい?とたずねますので、

上海龙凤shlf最新地址「かまわない。何を言ってもいい」

と自分は落ちついて答えました。

上海龙凤shlf最新地址じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京桥のバアのマダムとの间はもとより、自分が鎌仓で起した事件を知らせてやっても、ツネ子との间を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは无く、时には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗谈としか闻きとれぬ様子でした。

「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺のほうへも游びに来てくれっていう御伝言さ」

上海龙凤shlf最新地址忘れかけると、怪鸟が羽ばたいてやって来て、记忆の伤口をその嘴《くちばし》で突き破ります。たちまち过去の耻と罪の记忆が、ありありと眼前に展开せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくなるのです。

「饮もうか」

上海龙凤shlf最新地址と自分。

「よし」

と堀木。

自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人间のような気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち饮み步いている时だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛并の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。

その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京桥のあの小さいバアにも一绪に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が访问し、宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。

忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮顷、よれよれの浴衣を着て筑地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって夏服を质入したが、その质入が老母に知れるとまことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を贷してくれ、という事でした。あいにく自分のところにも、お金が无かったので、例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣类を质屋に持って行かせてお金を作り、堀木に贷しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎《しょうちゅう》を买わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から时たま幽かに吹いて来るどぶ臭い风を受けて、まことに薄汚い纳凉の宴を张りました。

上海龙凤shlf最新地址自分たちはその时、喜剧名词、悲剧名词の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した游戯で、名词には、すべて男性名词、女性名词、中性名词などの别があるけれども、それと同时に、喜剧名词、悲剧名词の区别があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽车はいずれも悲剧名词で、市电とバスは、いずれも喜剧名词、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸术を谈ずるに足らん、喜剧に一个でも悲剧名词をさしはさんでいる剧作家は、既にそれだけで落第、悲剧の场合もまた然り、といったようなわけなのでした。

上海龙凤shlf最新地址「いいかい?烟草は?」

と自分が问います。

上海龙凤shlf最新地址「トラ。(悲剧《トラジディ》の略)」

と堀木が言下に答えます。

「薬は?」

「粉薬かい?丸薬かい?」

「注射」

「トラ」

上海龙凤shlf最新地址「そうかな?ホルモン注射もあるしねえ」

上海龙凤shlf最新地址「いや、断然トラだ。针が第一、お前、立派なトラじゃないか」

「よし、负けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜剧《コメディ》の略)なんだぜ。死は?」

「コメ。牧师も和尚《おしょう》も然りじゃね」

上海龙凤shlf最新地址「大出来。そうして、生はトラだなあ」

「ちがう。それも、コメ」

「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は?よもや、コメとは言えませんでしょう?」

「トラ、トラ。大悲剧名词!」

「なんだ、大トラは君のほうだぜ」

上海龙凤shlf最新地址こんな、下手な駄洒落《だじゃれ》みたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその游戯を、世界のサロンにも尝《か》つて存しなかった颇《すこぶ》る気のきいたものだと得意がっていたのでした。

上海龙凤shlf最新地址またもう一つ、これに似た游戯を当时、自分は発明していました。それは、対义语《アントニム》の当てっこでした。黒のアント(対义语《アントニム》の略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。

「花のアントは?」

と自分が问うと、堀木は口を曲げて考え、

「ええっと、花月という料理屋があったから、月だ」

「いや、それはアントになっていない。むしろ、同义语《シノニム》だ。星と菫《すみれ》だって、シノニムじゃないか。アントでない」

上海龙凤shlf最新地址「わかった、それはね、蜂《はち》だ」

「ハチ?」

「牡丹《ぼたん》に、……蚁《あり》か?」

上海龙凤shlf最新地址「なあんだ、それは画题《モチイフ》だ。ごまかしちゃいけない」

上海龙凤shlf最新地址「わかった!花にむら云、……」

「月にむら云だろう」

「そう、そう。花に风。风だ。花のアントは、风」

上海龙凤shlf最新地址「まずいなあ、それは浪花节《なにわぶし》の文句じゃないか。おさとが知れるぜ」

「いや、琵琶《びわ》だ」

上海龙凤shlf最新地址「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」

「だから、その、……待てよ、なあんだ、女か」

上海龙凤shlf最新地址「ついでに、女のシノニムは?」

「臓物」

上海龙凤shlf最新地址「君は、どうも、诗《ポエジイ》を知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」

「牛乳」

「これは、ちょっとうまいな。その调子でもう一つ。耻。オントのアント」

「耻知らずさ。流行漫画家上司几太」

「堀木正雄は?」

上海龙凤shlf最新地址この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が头に充満しているような、阴郁な気分になって来たのでした。

上海龙凤shlf最新地址「生意気言うな。おれはまだお前のように、绳目の耻辱など受けた事が无えんだ」

上海龙凤shlf最新地址ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人间あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、耻知らずの、阿呆のばけものの、谓《い》わば「生ける屍《しかばね》」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのように见ているのも、もっともな话で、自分は昔から、人间の资格の无いみたいな子供だったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、

「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」

と何気无さそうな表情を装って、言うのでした。

「法律さ」

堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を见直しました。近くのビルの明灭するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに见えました。自分は、つくづく呆《あき》れかえり、

「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう」

罪の対义语が、法律とは!しかし、世间の人たちは、みんなそれくらいに简単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。刑事のいないところにこそ罪がうごめいている、と。

上海龙凤shlf最新地址「それじゃあ、なんだい、神か?お前には、どこかヤソ坊主くさいところがあるからな。いや味だぜ」

「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて见よう。これはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そのひとの全部がわかるような気がするのだ」

「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」

「冗谈は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」

上海龙凤shlf最新地址「悪と罪とは违うのかい?」

「违う、と思う。善悪の概念は人间が作ったものだ。人间が胜手に作った道徳の言叶だ」

上海龙凤shlf最新地址「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、神だろう。神、神。なんでも、神にして置けば间违いない。腹がへったなあ」

「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている」

「ありがてえ。好物だ」

両手を头のうしろに组んで、仰向《あおむけ》にごろりと寝ました。

上海龙凤shlf最新地址「君には、罪というものが、まるで兴味ないらしいね」

「そりゃそうさ、お前のように、罪人では无いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」

上海龙凤shlf最新地址死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処《どこ》かで幽かな、けれども必死の抗议の声が起っても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの习癖。

自分には、どうしても、正面切っての议论が出来ません。焼酎の阴郁な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを悬命に抑えて、ほとんど独りごとのようにして言いました。

上海龙凤shlf最新地址「しかし、牢屋《ろうや》にいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……爱、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、爱には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……呜呼《ああ》、みんなシノニムだ、罪の対语は何だ」

「ツミの対语は、ミツさ。蜜《みつ》の如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」

上海龙凤shlf最新地址「君が持って来たらいいじゃないか!」

上海龙凤shlf最新地址ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。

「ようし、それじゃ、したへ行って、ヨシちゃんと二人で罪を犯して来よう。议论より実地検分。罪のアントは、蜜豆、いや、そら豆か」

上海龙凤shlf最新地址ほとんど、ろれつの廻らぬくらいに酔っているのでした。

「胜手にしろ。どこかへ行っちまえ!」

「罪と空腹、空腹とそら豆、いや、これはシノニムか」

出鳕目《でたらめ》を言いながら起き上ります。

罪と罚。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、头脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罚をシノニムと考えず、アントニムとして置き并べたものとしたら?罪と罚、絶対に相通ぜざるもの、氷炭|相容《あいい》れざるもの。罪と罚をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと头脳に走马灯がくるくる廻っていた时に、

「おい!とんだ、そら豆だ。来い!」

堀木の声も顔色も変っています。堀木は、たったいまふらふら起きてしたへ行った、かと思うとまた引返して来たのです。

「なんだ」

异様に杀気立ち、ふたり、屋上から二阶へ降り、二阶から、さらに阶下の自分の部屋へ降りる阶段の中途で堀木は立ち止り、

「见ろ!」

と小声で言って指差します。

上海龙凤shlf最新地址自分の部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が见えます。电気がついたままで、二匹の动物がいました。

自分は、ぐらぐら目まいしながら、これもまた人间の姿だ、これもまた人间の姿だ、おどろく事は无い、など剧《はげ》しい呼吸と共に胸の中で呟《つぶや》き、ヨシ子を助ける事も忘れ、阶段に立ちつくしていました。

堀木は、大きい咳《せき》ばらいをしました。自分は、ひとり逃げるようにまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を袭った感情は、怒りでも无く、嫌悪でも无く、また、悲しみでも无く、もの凄《すさ》まじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った时に感ずるかも知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鸣などから永远にはなれるようになりました。実に、それは自分の生涯に於いて、决定的な事件でした。自分は、まっこうから眉间《みけん》を割られ、そうしてそれ以来その伤は、どんな人间にでも接近する毎に痛むのでした。

「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思い知ったろう。もう、おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地狱だ。……でも、ヨシちゃんは、ゆるしてやれ。お前だって、どうせ、ろくな奴じゃないんだから。失敬するぜ」

上海龙凤shlf最新地址気まずい场所に、永くとどまっているほど间《ま》の抜けた堀木ではありませんでした。

自分は起き上って、ひとりで焼酎を饮み、それから、おいおい声を放って泣きました。いくらでも、いくらでも泣けるのでした。

いつのまにか、背後に、ヨシ子が、そら豆を山盛りにしたお皿を持ってぼんやり立っていました。

上海龙凤shlf最新地址「なんにも、しないからって言って、……」

「いい。何も言うな。お前は、ひとを疑う事を知らなかったんだ。お坐り。豆を食べよう」

并んで坐って豆を食べました。呜呼、信頼は罪なりや?相手の男は、自分に漫画をかかせては、わずかなお金をもったい振って置いて行く三十歳前後の无学な小男の商人なのでした。

さすがにその商人は、その後やっては来ませんでしたが、自分には、どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、さいしょに见つけたすぐその时に大きい咳ばらいも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上に引返して来た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむら起って呻《うめ》きました。

ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。

神に问う。信頼は罪なりや。

ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の种になりました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の无垢《むく》の信頼心は、それこそ青叶の滝のようにすがすがしく思われていたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変ってしまいました。见よ、ヨシ子は、その夜から自分の一颦《いっぴん》一笑にさえ気を遣うようになりました。

「おい」

上海龙凤shlf最新地址と呼ぶと、ぴくっとして、もう眼のやり场に困っている様子です。どんなに自分が笑わせようとして、お道化を言っても、おろおろし、びくびくし、やたらに自分に敬语を遣うようになりました。

上海龙凤shlf最新地址果して、无垢の信頼心は、罪の原泉なりや。

自分は、人妻の犯された物语の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも无いと思いました。どだい、これは、てんで物语にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋に似た感情でもあったなら、自分の気持もかえってたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分の眉间は、まっこうから割られ声が嗄れて若白髪がはじまり、ヨシ子は一生おろおろしなければならなくなったのです。たいていの物语は、その妻の「行为」を夫が许すかどうか、そこに重点を置いていたようでしたが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大问题では无いように思われました。许す、许さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸いなる哉《かな》、とても许す事が出来ぬと思ったなら、何もそんなに大騒ぎせずとも、さっさと妻を离縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう、それが出来なかったら、所谓《いわゆる》「许して」我慢するさ、いずれにしても夫の気持一つで四方八方がまるく収るだろうに、という気さえするのでした。つまり、そのような事件は、たしかに夫にとって大いなるショックであっても、しかし、それは「ショック」であって、いつまでも尽きること无く打ち返し打ち寄せる波と违い、権利のある夫の怒りでもってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われたのでした。けれども、自分たちの场合、夫に何の権利も无く、考えると何もかも自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言えず、また、その妻は、その所有している稀《まれ》な美质に依って犯されたのです。しかも、その美质は、夫のかねてあこがれの、无垢の信頼心というたまらなく可怜《かれん》なものなのでした。

上海龙凤shlf最新地址无垢の信頼心は、罪なりや。

上海龙凤shlf最新地址唯一のたのみの美质にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや何もかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになりました。自分の顔の表情は极度にいやしくなり、朝から焼酎を饮み、歯がぼろぼろに欠けて、漫画もほとんど猥画《わいが》に近いものを画くようになりました。いいえ、はっきり言います。自分はその顷から、春画のコピイをして密売しました。焼酎を买うお金がほしかったのです。いつも自分から视线をはずしておろおろしているヨシ子を见ると、こいつは全く警戒を知らぬ女だったから、あの商人といちどだけでは无かったのではなかろうか、また、堀木は?いや、或いは自分の知らない人とも?と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切ってそれを问い正す勇気も无く、れいの不安と恐怖にのたうち廻る思いで、ただ焼酎を饮んで酔っては、わずかに卑屈な诱导|讯问《じんもん》みたいなものをおっかなびっくり试み、内心おろかしく一喜一忧し、うわべは、やたらにお道化て、そうして、それから、ヨシ子にいまわしい地狱の爱抚《あいぶ》を加え、泥のように眠りこけるのでした。

その年の暮、自分は夜おそく泥酔して帰宅し、砂糖水を饮みたく、ヨシ子は眠っているようでしたから、自分でお胜手に行き砂糖壶を捜し出し、ふたを开けてみたら砂糖は何もはいってなくて、黒く细长い纸の小箱がはいっていました。何気なく手に取り、その箱にはられてあるレッテルを见て愕然《がくぜん》としました。そのレッテルは、爪で半分以上も掻《か》きはがされていましたが、洋字の部分が残っていて、それにはっきり书かれていました。DIAL。

ジアール。自分はその顷もっぱら焼酎で、催眠剤を用いてはいませんでしたが、しかし、不眠は自分の持病のようなものでしたから、たいていの催眠剤にはお驯染《なじ》みでした。ジアールのこの箱一つは、たしかに致死量以上の筈でした。まだ箱の封を切ってはいませんでしたが、しかし、いつかは、やる気で[#「やる気で」に傍点]こんなところに、しかもレッテルを掻きはがしたりなどして隠していたのに违いありません。可哀想に、あの子にはレッテルの洋字が読めないので、爪で半分掻きはがして、これで大丈夫と思っていたのでしょう。(お前に罪は无い)

上海龙凤shlf最新地址自分は、音を立てないようにそっとコップに水を満たし、それから、ゆっくり箱の封を切って、全部、一気に口の中にほうり、コップの水を落ちついて饮みほし、电灯を消してそのまま寝ました。

上海龙凤shlf最新地址三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は过失と见なして、警察にとどけるのを犹予してくれたそうです。覚醒《かくせい》しかけて、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言叶だったそうです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。

上海龙凤shlf最新地址次第に雾がはれて、见ると、枕元にヒラメが、ひどく不机嫌な顔をして坐っていました。

上海龙凤shlf最新地址「このまえも、年の暮の事でしてね、お互いもう、目が廻るくらいいそがしいのに、いつも、年の暮をねらって、こんな事をやられたひには、こっちの命がたまらない」

ヒラメの话の闻き手になっているのは、京桥のバアのマダムでした。

「マダム」

と自分は呼びました。

「うん、何?気がついた?」

上海龙凤shlf最新地址マダムは笑い顔を自分の顔の上にかぶせるようにして言いました。

上海龙凤shlf最新地址自分は、ぽろぽろ涙を流し、

上海龙凤shlf最新地址「ヨシ子とわかれさせて」

自分でも思いがけなかった言叶が出ました。

上海龙凤shlf最新地址マダムは身を起し、幽かな溜息をもらしました。

それから自分は、これもまた実に思いがけない滑稽とも阿呆らしいとも、形容に苦しむほどの失言をしました。

「仆は、女のいないところに行くんだ」

うわっはっは、とまず、ヒラメが大声を挙げて笑い、マダムもクスクス笑い出し、自分も涙を流しながら赤面の态《てい》になり、苦笑しました。

上海龙凤shlf最新地址「うん、そのほうがいい」

上海龙凤shlf最新地址とヒラメは、いつまでもだらし无く笑いながら、

「女のいないところに行ったほうがよい。女がいると、どうもいけない。女のいないところとは、いい思いつきです」

女のいないところ。しかし、この自分の阿呆くさいうわごとは、のちに到って、非常に阴惨に実现せられました。

ヨシ子は、何か、自分がヨシ子の身代りになって毒を饮んだとでも思い込んでいるらしく、以前よりも尚《なお》いっそう、自分に対して、おろおろして、自分が何を言っても笑わず、そうしてろくに口もきけないような有様なので、自分もアパートの部屋の中にいるのが、うっとうしく、つい外へ出て、相変らず安い酒をあおる事になるのでした。しかし、あのジアールの一件以来、自分のからだがめっきり痩《や》せ细って、手足がだるく、漫画の仕事も怠けがちになり、ヒラメがあの时、见舞いとして置いて行ったお金(ヒラメはそれを、渋田の志です、と言っていかにもご自身から出たお金のようにして差出しましたが、これも故郷の兄たちからのお金のようでした。自分もその顷には、ヒラメの家から逃げ出したあの时とちがって、ヒラメのそんなもったい振った芝居を、おぼろげながら见抜く事が出来るようになっていましたので、こちらもずるく、全く気づかぬ振りをして、神妙にそのお金のお礼をヒラメに向って申し上げたのでしたが、しかし、ヒラメたちが、なぜ、そんなややこしいカラクリをやらかすのか、わかるような、わからないような、どうしても自分には、へんな気がしてなりませんでした)そのお金で、思い切ってひとりで南伊豆の温泉に行ってみたりなどしましたが、とてもそんな悠长な温泉めぐりなど出来る柄《がら》ではなく、ヨシ子を思えば侘《わ》びしさ限りなく、宿の部屋から山を眺めるなどの落ちついた心境には甚だ远く、ドテラにも着换えず、お汤にもはいらず、外へ飞び出しては薄汚い茶店みたいなところに飞び込んで、焼酎を、それこそ浴びるほど饮んで、からだ具合いを一そう悪くして帰京しただけの事でした。

上海龙凤shlf最新地址东京に大雪の降った夜でした。自分は酔って银座里を、ここはお国を何百里、ここはお国を何百里、と小声で缲り返し缲り返し呟くように歌いながら、なおも降りつもる雪を靴先で蹴散《けち》らして步いて、突然、吐きました。それは自分の最初の喀血《かっけつ》でした。雪の上に、大きい日の丸の旗が出来ました。自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない个所の雪を両手で掬《すく》い取って、顔を洗いながら泣きました。

上海龙凤shlf最新地址こうこは、どうこの细道じゃ?

こうこは、どうこの细道じゃ?

哀れな童女の歌声が、幻聴のように、かすかに远くから闻えます。不幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても过言ではないでしょうが、しかし、その人たちの不幸は、所谓世间に対して堂々と抗议が出来、また「世间」もその人たちの抗议を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、谁にも抗议の仕様が无いし、また口ごもりながら一言でも抗议めいた事を言いかけると、ヒラメならずとも世间の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆《あき》れかえるに违いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自《おのずか》らどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など无いのです。

上海龙凤shlf最新地址自分は立って、取り敢えず何か适当な薬をと思い、近くの薬屋にはいって、そこの奥さんと顔を见合せ、瞬间、奥さんは、フラッシュを浴びたみたいに首をあげ眼を见はり、棒立ちになりました。しかし、その见はった眼には、惊愕の色も嫌悪の色も无く、ほとんど救いを求めるような、慕うような色があらわれているのでした。ああ、このひとも、きっと不幸な人なのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから、と思った时、ふと、その奥さんが松叶杖《まつばづえ》をついて危かしく立っているのに気がつきました。駈け寄りたい思いを抑えて、なおもその奥さんと顔を见合せているうちに涙が出て来ました。すると、奥さんの大きい眼からも、涙がぽろぽろとあふれて出ました。

それっきり、一言も口をきかずに、自分はその薬屋から出て、よろめいてアパートに帰り、ヨシ子に塩水を作らせて饮み、黙って寝て、翌る日も、风邪気味だと嘘をついて一日一ぱい寝て、夜、自分の秘密の喀血がどうにも不安でたまらず、起きて、あの薬屋に行き、こんどは笑いながら、奥さんに、実に素直に今迄のからだ具合いを告白し、相谈しました。

上海龙凤shlf最新地址「お酒をおよしにならなければ」

上海龙凤shlf最新地址自分たちは、肉身のようでした。

「アル中になっているかも知れないんです。いまでも饮みたい」

「いけません。私の主人も、テーベのくせに、菌を酒で杀すんだなんて言って、酒びたりになって、自分から寿命をちぢめました」

上海龙凤shlf最新地址「不安でいけないんです。こわくて、とても、だめなんです」

上海龙凤shlf最新地址「お薬を差し上げます。お酒だけは、およしなさい」

奥さん(未亡人で、男の子がひとり、それは千叶だかどこだかの医大にはいって、间もなく父と同じ病いにかかり、休学入院中で、家には中风の舅《しゅうと》が寝ていて、奥さん自身は五歳の折、小児|麻痹《まひ》で片方の脚が全然だめなのでした)は、松叶杖をコトコトと突きながら、自分のためにあっちの棚、こっちの引出し、いろいろと薬品を取そろえてくれるのでした。

これは、造血剤。

上海龙凤shlf最新地址これは、ヴィタミンの注射液。注射器は、これ。

上海龙凤shlf最新地址これは、カルシウムの锭剤。胃肠をこわさないように、ジアスターゼ。

上海龙凤shlf最新地址これは、何。これは、何、と五、六种の薬品の説明を爱情こめてしてくれたのですが、しかし、この不幸な奥さんの爱情もまた、自分にとって深すぎました。最後に奥さんが、これは、どうしても、なんとしてもお酒を饮みたくて、たまらなくなった时のお薬、と言って素早く纸に包んだ小箱。

モルヒネの注射液でした。

上海龙凤shlf最新地址酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不洁に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、何の踌躇《ちゅうちょ》も无く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しました。不安も、焦燥《しょうそう》も、はにかみも、绮丽《きれい》に除去せられ、自分は甚だ阳気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きながら喷き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。

一日一本のつもりが、二本になり、四本になった顷には、自分はもうそれが无ければ、仕事が出来ないようになっていました。

「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです」

上海龙凤shlf最新地址薬屋の奥さんにそう言われると、自分はもう可成りの中毒患者になってしまったような気がして来て、(自分は、ひとの暗示に実にもろくひっかかるたちなのです。このお金は使っちゃいけないよ、と言っても、お前の事だものなあ、なんて言われると、何だか使わないと悪いような、期待にそむくような、へんな错覚が起って、必ずすぐにそのお金を使ってしまうのでした)その中毒の不安のため、かえって薬品をたくさん求めるようになったのでした。

上海龙凤shlf最新地址「たのむ!もう一箱。勘定は月末にきっと払いますから」

「勘定なんて、いつでもかまいませんけど、警察のほうが、うるさいのでねえ」

ああ、いつでも自分の周囲には、何やら、浊って暗く、うさん臭い日荫者の気配がつきまとうのです。

上海龙凤shlf最新地址「そこを何とか、ごまかして、たのむよ、奥さん。キスしてあげよう」

奥さんは、顔を赤らめます。

上海龙凤shlf最新地址自分は、いよいよつけ込み、

「薬が无いと仕事がちっとも、はかどらないんだよ。仆には、あれは强精剤みたいなものなんだ」

「それじゃ、いっそ、ホルモン注射がいいでしょう」

「ばかにしちゃいけません。お酒か、そうでなければ、あの薬か、どっちかで无ければ仕事が出来ないんだ」

「お酒は、いけません」

「そうでしょう?仆はね、あの薬を使うようになってから、お酒は一滴も饮まなかった。おかげで、からだの调子が、とてもいいんだ。仆だって、いつまでも、下手くそな漫画などをかいているつもりは无い、これから、酒をやめて、からだを直して、勉强して、きっと伟い絵画きになって见せる。いまが大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスしてあげようか」

奥さんは笑い出し、

「困るわねえ。中毒になっても知りませんよ」

上海龙凤shlf最新地址コトコトと松叶杖の音をさせて、その薬品を棚から取り出し、

「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね」

「ケチだなあ、まあ、仕方が无いや」

家へ帰って、すぐに一本、注射をします。

上海龙凤shlf最新地址「痛くないんですか?」

上海龙凤shlf最新地址ヨシ子は、おどおど自分にたずねます。

「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。仆はこの顷、とても元気だろう?さあ、仕事だ。仕事、仕事」

とはしゃぐのです。

深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松叶杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。

奥さんは、黙って自分に一箱、手渡しました。

上海龙凤shlf最新地址薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不洁なものだと、つくづく思い知った时には、既に自分は完全な中毒患者になっていました。真に、耻知らずの极《きわみ》でした。自分はその薬品を得たいばかりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおりの丑関系をさえ结びました。

上海龙凤shlf最新地址死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、耻の上涂りをするだけなんだ、自転车で青叶の滝など、自分には望むべくも无いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し强烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の种なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の间を半狂乱の姿で往复しているばかりなのでした。

いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの额にのぼり、奥さんは、自分の顔を见ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。

地狱。

上海龙凤shlf最新地址この地狱からのがれるための最後の手段、これが失败したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を赌《か》けるほどの决意を以《もっ》て、自分は、故郷の父あてに长い手纸を书いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに书けませんでしたが)告白する事にしました。

しかし、结果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も无く、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。

上海龙凤shlf最新地址今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飞び込もうと、ひそかに覚悟を极めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅《か》ぎつけたみたいに、堀木を连れてあらわれました。

「お前は、喀血したんだってな」

上海龙凤shlf最新地址堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで见た事も无いくらいに优しく微笑《ほほえ》みました。その优しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその优しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。

自分は自动车に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口调で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口调でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も无い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々诺々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自动车にゆられ、あたりが薄暗くなった顷、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。

サナトリアムとばかり思っていました。

自分は若い医师のいやに物やわらかな、郑重《ていちょう》な诊察を受け、それから医师は、

「まあ、しばらくここで静养するんですね」

上海龙凤shlf最新地址と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着换の衣类をいれてある风吕敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の间から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、强精剤だとばかり思っていたのでしょうか。

「いや、もう要らない」

実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その时ただ一度、といっても过言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の无い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永远に修缮し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその时、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の谓わば「神の如き无智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬间、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。

けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若い医师に案内せられ、或る病栋にいれられて、ガチャンと键《かぎ》をおろされました。脳病院でした。

上海龙凤shlf最新地址女のいないところへ行くという、あのジアールを饮んだ时の自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実现せられたわけでした。その病栋には、男の狂人ばかりで、看护人も男でしたし、女はひとりもいませんでした。

いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬间といえども、狂った事は无いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気违い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。

神に问う。无抵抗は罪なりや?

堀木のあの不思议な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自动车に乗り、そうしてここに连れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人《はいじん》という刻印を额に打たれる事でしょう。

上海龙凤shlf最新地址人间、失格。

もはや、自分は、完全に、人间で无くなりました。

上海龙凤shlf最新地址ここへ来たのは初夏の顷で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に红《あか》い睡莲の花が咲いているのが见えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の长兄が、ヒラメを连れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃溃疡《いかいよう》でなくなったこと、自分たちはもうお前の过去は问わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未练もあるだろうがすぐに东京から离れて、田舎で疗养生活をはじめてくれ、お前が东京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な紧张したような口调で言うのでした。

故郷の山河が眼前に见えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。

まさに癈人。

父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜《ふぬ》けたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も离れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壶がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壶がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、张合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。

长兄は自分に対する约束を正确に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽车で四、五时间、南下したところに、东北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、间数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥《は》げ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も无いほどの茅屋《ぼうおく》を买いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の丑い女中をひとり附けてくれました。

それから三年と少し経ち、自分はその间にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、时たま夫妇|喧哗《げんか》みたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一进一退、痩せたりふとったり、血痰《けったん》が出たり、きのう、テツにカルモチンを买っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と违う形の箱のカルモチンを买って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十锭のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不审に堪えず、薬の箱をよく见ると、それはヘノモチンという下剤でした。

自分は仰向けに寝て、おなかに汤たんぽを载せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。

上海龙凤shlf最新地址「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」

上海龙凤shlf最新地址と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜剧名词のようです。眠ろうとして下剤を饮み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。

いまは自分には、幸福も不幸もありません。

ただ、一さいは过ぎて行きます。

自分がいままで阿鼻叫唤で生きて来た所谓「人间」の世界に於いて、たった一つ、真理[#「真理」に傍点]らしく思われたのは、それだけでした。

ただ、一さいは过ぎて行きます。

自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に见られます。

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